第九回民家の甲子園 仏御前賞 愛媛県立川之石高等学校

愛媛県立川之石高等学校 PR

 

赤煉瓦が語る保内今昔物語

 

宮内川のほとりにたたずむ「赤煉瓦の倉庫」、保内のシンボルとして歴史の移り変わり

を見てきた建物です。保内町は、明治維新以降ロウソクの原料となる櫨の栽培が盛んで、

これを糧に海運業が発達。町は隆盛を極めてきた。今回こうした保内町の歴史を語り続け

る物を探り、写真に留め、後世に伝えることと町の活性化を願って撮影に取りかかった。

 先ほども述べたが、明治の頃の保内は県下でも文化や産業の中心として発展し、一足早く近代化が進められた町でした。それを語るものとして、明治11年には県下で始めての

「第29国立銀行」(現在の伊予銀行)が設立、この銀行の融資のおかげで、紡績業が定着

し四国初の紡績会社「宇和紡績」が明治20年に設立された。この紡績会社の工場内には

自家発電施設が設けられ、工場が完成した明治22年12月、県下で最も早く街灯が設置されたのも保内でした。大正時代になると各地から数多くの工女が集まり、町は更に発展を遂げた。また、銅山の開発にも取組み、精錬所なども整備され南予屈指の商業都市としてその名をとどろかせていった。この様に隆盛を極めた保内町も、紡績業の不振で第2次大戦以降はかつての隆盛も陰りを見せ、今では商店街も歩く人はまばらでその面影も薄らいでいる。

 今回撮影で回ったのは、明治17年創業の西日本で唯一、蚕種を生産販売している「愛媛蚕種株式会社」、木造3階建ての建物は今だなお現役で稼動している。また、紡績会社

の倉庫として建てられた「赤煉瓦倉庫」も製材所の倉庫として、操業100年を超える「カワイシ醤油株式会社」、工場内には現在は稼動していないが、操業当時を思わせる樽な

どがある。この様に町内を回って見るといたる所に、昔の面影が残っている。こうした歴史的な遺産を受け継ぎ、後世へ伝えていきたい。私たちの力は小さいかもしれません。しかし、この町が再び活気を取り戻すことができるよう、自分達にできることをやっていきたい。